namuv8’s blog

wellbeing

楽しみと苦しみ

楽しみと苦しみ。

幸せと不幸。

 

これらは通常一体となっているのではないでしょうか。

 

楽しくて幸せ。

苦しくて不幸。

 

一見これは当然の事の様に見えますが本当にそうでしょうか?

 

私はこの様に考えます。

 

苦しい事を乗り越えて来た人ほど幸せを経験することが出来る。

 

苦しさを知っているからこそ、そこに有り難さや幸せが生まれるのではないかと。

 

もし、苦しさを知らなければ今幸せである事にも気付く事は出来ないのではないかと。

 

不公平、不運の連続、失敗の連続、自信の喪失、逆境。

 

生きるという事は様々な事が起き、様々な考えが頭を巡り、私達を苦しめるかもしれません。

 

しかし、その隣りにはいつも幸せのタネが落ちているように思います。

 

私は多いに苦しみ、幸せな人生を生きようと思います。

取り組む姿勢

私達の気持ちを揺さぶる様な事の結果は誰にもわからない。

 

そして、どんな結果であっても取り組む姿勢が悪ければ幸せを見つける事は困難である。

 

目的を持ち取り組む姿勢を充実させる。

その先についてくるのが結果。

 

結果を気にし過ぎては前に進む気力を失ってしまうだろう。

 

もし目的と取り組む姿勢を大切にする事が出来たならば、

どんな結果が生まれても、誰もあなた自身も含めてあなたを責める気すら起こらないだろう。

 

むしろそこにはあなたの人生の価値が見出される事になるだろう。

 

 

楽しみは最後に待っているものではなく、常にそこにあるものではないかと思います。

常識、普通について

Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.

 

- Albert Einstein (アインシュタイン) -

 
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

 

これは有名なアインシュタインの言葉です。

 

私自身、今まで常識・普通という言葉を強く信じ人に強要する事があったと思います。今でもあると思います。

 

ただ、これらの大部分は教育として大人になるまでに植えつけられてきたものでもあります。

そこには、大人の人生観や場所や文化や時代背景が大きく影響していると思います。

 

国や地域、宗教、親、学校の違いなどで同じ時代でも、違った常識が作られるでしょう。

 

子供達にはほぼ選択権はありません。

 

同じ子供でも違った国や大人などの元で育つと違った価値観をもった大人になることでしょう。

 

常識はその場所や時代の大人が作り上げ多くの人で共有している価値観と言えるのではないでしょうか?

 

時代や文化が違えば常識は違います。

 

この国際的な社会へと急速に変わりつつある時代で、どこまで私達の子供時代に埋め込まれた常識が適切な価値観と言えるでしょうか?

 

自分自身に埋め込まれてきた、もしくは作り上げてきた常識がなぜ常識と言えるのかを理解して他の人への助言、もしくは子供の教育へあたる事はとても大切な事だと思います。

 

多くの常識は文化・時代・人などが違えば偏見でもあるという反面をもっています。

 

ただ言われたから信じるのではなく背景を理解する事がこれからの時代を生き抜く為の重要なポイントになると感じています。

 

私自身、時には自分の常識を疑い本質的な理解が出来る様に心がけています。

 

 

 

自由に見えて自由でない人生の変え方

自由に見えて自由でない人生の変え方を本気で考え続けています。

 

平等、平和、人権、民主主義、男女差別の撤廃。

 

今の日本ではすごく自由につながる言葉があふれています。そして、ベースにそれらがしっかりとあるようにも見えます。

多くの先進国でもこれらは基本にあるように発信しています。

 

しかし、本当にどこまでの自由を手に入れる事が出来ているでしょうか?

いざ生活を始めようとしたら、結局型にはまってしまう事が多いのではないでしょうか?

 

例えば、

本当は残業したくないのに、お金の為にと我慢して働いている人は多いんじゃないでしょうか?

日々の生活に追われて子供達に十分なフォローと教育をしてあげれていない親御さんがいっぱいいるのではないでしょうか?

精神や身体を痛めつけてでも無理に働いたり他の活動をしなくてはいけないなど。

節約の為に望んでいないとにかく安い食べ物を買ったりしていないでしょうか?

男女差別、本当にないでしょうか?

国の代表機関の国会議員の男女比はどうでしょうか?

世界の代表機関の国際連合はなぜ第二次世界大戦の戦勝国がもっとも権限を持ち続けているのでしょうか?

なぜテロか起こるのでしょうか?

なぜ多くの人々が自ら命を絶つのでしょうか?

なぜ生活する国を自由に選べないのでしょうか?

 

急速に時代が変わり、科学技術も発達しましたが、私達は上手くそれらを使いこなせているのでしょうか?

便利なのに貧しい方向へ向かっている様に感じます。

 

本当は働く時間を半分にしても皆んなが生きていけるシステムを作れるのではないでしょうか?

 

もっと好きな時間に好きな事を出来る様にするための技術と知恵は既にあるのではないでしょうか?

 

教育費、医療費、ローン、老後、倒産、リストラなどの悩みをそんなに抱えなくても良いシステムを作る事は不可能でしょうか?

 

他にも多くの事があると思います。

 

私はこれらの課題に対して、私達は既にほぼ全てを解決出来るだけの能力を持っていると信じています。

 

地球上で約75億個もある脳を使えば意図も簡単に解決してしまうと思います。

 

一人ひとりの少しの意識は後には大きな波となり変革をもたらすには十分過ぎる程のエネルギーとなるのではないでしょうか。

 

なので私は周りからよく変な人だと思われますが、私達はもっと幸せになれると本気で信じています。

 

新しい常識と共に。

お金はヒトを2次元へと誘い込む

お金を中心に生きる。

2次元の人生。

 

幸せを中心に生きる。

3次元の人生。

 

生き方として次元が違う程の差があるのではないでしょうか?

 

例えば、昔の横スクロールだけのテレビゲームと今のネットゲームのイメージでしょうか。

 

お金は便利です。

 

そして、現代ではほとんどの物事にお金という価値があります。

 

ほとんどの食べ物、服、家、教育、国、政治、世界、時には人生がお金で買えます。

 

逆に貧しいとほとんどのモノが手に入りません。そして、人生すら奪われる事もあります。

 

現代の多くのテロの起きる原因は貧しさが1番の原因だと思います。

ほとんどのお金持ちの人達は自らを犠牲にしてまでテロリストにはならないでしょう。

 

多くの人はお金を中心に人生設計をしているのではないでしょうか?

今の世の中のシステムでは当然の考え方ではあると思います。

 

しかし、その考え方と行動は奥行きのない人生へと私達を導いて行くように感じています。

そう、2次元の世界へ。

 

お金は本来あるはずの価値を見えにくくしてしまいます。

 

例えば、

家賃を払うための5万円とパチンコに行くための5万円は同じでしょうか?

 

仕事を例に、

ヒトを巧みにだましてもらった5万円と心から喜ばれてもらった5万円は違いがあるでしょうか?

 

ビジネスだからと言って、合法なら何でもしても良いでしょうか?

 

お金は物事をフラットにして行くようです。

そして、ヒトを2次元へと閉じ込めてしまうのかもしれません。

 

お金という物差しはわかりやすく便利なのでヒトを夢中にします。

 

しかし、物事はそれぞれお金以外の価値を持っています。

 

そこに気付きながら生きて行けると、本来の3次元の人生に近づくと私は信じています。

 

常に常識とシステムは不完全です。

 

例え逆流であったとしても、

時代に翻弄されず本質を見抜き行動する事で世界は少しずつ望む方向に変わって行くのではないでしょうか。

本質

"本質" は色んな所で、もしくは全ての所で重要になる事だと思っています。 

 

日常で使われている"本質"にはとても多くの意味が含まれています。

 

どの視点から物事を見るかで"本質"は違った物として写るのではないかと思います。

 

では、人々は自分の人生、幸せ、目標、行動、考え方などをどれ程自分の"本質"にしたがって決めることが出来ているでしょうか?そしてその"本質"とはどのような物でしょうか?

私はこう思っています。

 

"本質"というのは一見単純そうで、

実は奥深くあり、

しかし気付けばもっとも単純なもの

 

私は今までの人生の中で何となく気付いていましたが、しっかりとらえるところまで今まで行くことが出来ていませんでした。

現在ははっきりと認識出来るようになりました。私の今の力では言葉でこれ以上をお伝えすると大事な感覚を伝えきれないかもしれませんのでこれ以上は書きません。

 

自分の中にどのような"本質"をお持ちでしょうか?

 

私にとってはとても興味深い質問です。