完璧でありたくない理由
もし人生が何不自由なく完璧に進んだならば、その人生は魅力的でしょうか?
失敗と苦労だらけの人生は、魅力がないのでしょうか?
私にとって人生は自分の物語を作る旅だと思っています。
例えば、テキストから引用したり、どこかからコーピーペーストで作れるような物語に魅力はあるのでしょうか?
誤字脱字があったり、まとまりがなっかったり、不細工であったり、テーマが立派でなくてもオリジナルのストーリーには計り知れない魅力が詰まっていると思います。
さらに、物語にはドラマ(困難)が必要です。
もし、完璧な才能と環境に恵まれてしまうとドラマを作り出す機会が減ってしまいます。
私は勉強、運動、対人関係でもどちかかと言うと不器用でトラウマもいっぱいあります。そして、そんな自分が嫌で変わりたくて様々なことに挑戦してきました。その過程で「センスがないからやめた方がいい」とか「向いてないことをやっても効率が悪い」などアドバイスをいただいたことも多々あります。
今は、時間をかけて学生時代に克服できなかったことや、苦手な事を少しづつ乗り越える努力をしています。
ある人たちから見れば私のやっている事は非効率的で生産性があまりないため価値のない事だと映るかもしれません。
しかし、私は自身の成長や苦手だった事を乗り越える楽しみを知ってしまいました。
今となっては、自分の不器用さセンスのなさに感謝しています。
なぜならそこには、私のドラマがいっぱい詰まっているからです。
人の不完全さは人生の彩となる可能性があり、魅力を構成するためになくてはならない要素ではないでしょうか。