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芸術、スポーツ、学問への価値観の変化

これからの時代は芸術、スポーツ、学問などへの重要性が高まるではないだろうか?

 

と言う仮説を下に色々考えてみます。

 

この理由としては、

1、人は常に幸せを求め変化を求めている。

2、現代の資本主義の仕組みが限界を迎えている。

3、新たな幸せの作り方が必要である。

 

1、人は常に幸せを求め変化を求めている。

 

『あなたにとっての人生とは何ですか?』

 

このシンプルな質問の正解はおそらくありません。

哲学的な質問であるがゆえ、環境と個人の性格により大きく異なるでしょう。

しかし、本質にあるのはいかに幸せになるかであり、そのためにどのような考え方をし、行動をするかだと思います。

 

ここからは偏見とも捉えられる表現になりますが、あえて一例をあげます。

(念の為、憶測と一つの考え方であり何も否定する意図はありません)

 

戦争や戦の多くあった時代のはそれぞれの大義の下に多くの人を殺すことが正義とされていました。戦果を上げ、国に仕え地位や名声を手に入れることが一つの誇りであり幸せであったと言えます。

 

世界大戦後は経済を中心とした社会作りが促進され、生産性を上げ経済を発展させることが中心になり、お金や経済発展が一つの幸せであると強く認識されるようになりました。

 

そして現在は、経済発展に依存し過ぎた仕組みにほころびが出始めています。現実的にはまだお金なしでは幸せを語りにくいですが、精神的にはすでに幸せへの価値観は変わりつつあると思います。まさに異なった理想と現実の混在する過渡期と言えるのではないでしょうか。

 

2、現代の資本主義の仕組みが限界を迎えている。

  

これはまさに多くの方々が実際に経験していることだと思うのですが、日本のお金に依存し過ぎている資本主義を中心とした国の仕組みはすでに機能していません。

例えば、年金や経済発展のため人口増加に取り組まれていますが、理想の人口は何人でしょうか?どこまで人口を増やしたいのでしょうか?

現行のシステムを機能させるための後手に回った考え方ではないでしょうか。

まさか、「人口を増やし競争を加速させ経済を回してみんなでお金持ちになって幸せになりましょう」のような安易な発想でないと良いのですが。

地球には限られた資源しかないにも関わらず、人口ばかり増えても奪い合いが起こり環境破壊が進み将来的な代償は大きなものになってしまいます。

様々な観点から、適切な人口密度を算出することがまず優先ではないでしょうか。

 

更には、なぜ日本人は働く時間が多いのでしょうか?

(よく他の国の方々に日本人って働くの好きですねって言われます)

戦後から何十年にもおける経済発展や技術の発展の末に、共働きになり多くの残業を抱え更に副業を初めなくては安心できない社会システムはあきらかに機能していません。

経済政策は更に国民の時間を働く事に費やす事を目指しています。

これ以上の偏った経済政策の加速は国民の時間を奪いモラルの低下に繋がり更に社会問題を生み出す結果になるでしょう。

 

多く方々が気付いていると思いますが、要はお金で解決する仕組みは根本的に限界を迎えています。

近い将来に必ず変化が必要になるでしょう。

 

3、新たな幸せの作り方が必要である。

 

社会の仕組みが変われば、幸せの概念や価値観も変わります。

お金に依存し過ぎずに、上手く共存してゆく社会作りが次の理想になると思っています。

 

少し例をあげます。

まず、税金システムの簡略化です。

今は複雑になり過ぎていますが、年金と健康保険を無くして、そこを補うために所得税と消費税の仕組みを見直す事です。

多くの国民の意識は年金や医療費などのに縛られているとも言えます。

(鎖に繋がれている事だけが奴隷ではないという事です)

 

更に、コミュニティーサービス(地域奉仕活動)を充実させ、一定の社会貢献をすれば公的福祉サービスを基本的に無料にします。

 

要は、医療・教育・老後や福祉関係においてお金の心配のない社会を目指すという事です。

 

そうなれば、生き抜くために多くのお金を稼ぐ必要がなくなり、多くの時間を仕事以外の事に使えるようになっていきます。

 

お金と仕事を考えから抜いた時に、どのような過ごし方をすると幸せになれるのでしょうか?

ここに趣が置かれるようになるのが新たな時代だと思います。

新たな幸せの価値観が必要になってきます。

 

まとめ

 

本題に戻りまして、私は新たに価値観を見直される分野は芸術・スポーツ・学問などが中心になると思います。歴史についてあまり詳しくないですが、社会的に安定した時代にはこれらの分野が発展したのではないでしょうか。

私はこれからの時代は、個々がより尊重され、更に最先端の技術と世界の繋がりを持って創造的な世界になって行く事を描いています。

今は過渡期であり10年、20年後の世界は全く違った価値観であると思います。

過渡期には矛盾が多くとても大変な時期とも言えますが、このような変化を経験できる事も一つの人生の醍醐味と捉える事もできるのではないでしょうか。

完璧でありたくない理由

もし人生が何不自由なく完璧に進んだならば、その人生は魅力的でしょうか?

 

失敗と苦労だらけの人生は、魅力がないのでしょうか?

 

 

私にとって人生は自分の物語を作る旅だと思っています。

 

例えば、テキストから引用したり、どこかからコーピーペーストで作れるような物語に魅力はあるのでしょうか?

 

誤字脱字があったり、まとまりがなっかったり、不細工であったり、テーマが立派でなくてもオリジナルのストーリーには計り知れない魅力が詰まっていると思います。

 

さらに、物語にはドラマ(困難)が必要です。

 

もし、完璧な才能と環境に恵まれてしまうとドラマを作り出す機会が減ってしまいます。

 

私は勉強、運動、対人関係でもどちかかと言うと不器用でトラウマもいっぱいあります。そして、そんな自分が嫌で変わりたくて様々なことに挑戦してきました。その過程で「センスがないからやめた方がいい」とか「向いてないことをやっても効率が悪い」などアドバイスをいただいたことも多々あります。

 

今は、時間をかけて学生時代に克服できなかったことや、苦手な事を少しづつ乗り越える努力をしています。

 

ある人たちから見れば私のやっている事は非効率的で生産性があまりないため価値のない事だと映るかもしれません。

 

しかし、私は自身の成長や苦手だった事を乗り越える楽しみを知ってしまいました。

 

今となっては、自分の不器用さセンスのなさに感謝しています。

 

なぜならそこには、私のドラマがいっぱい詰まっているからです。

 

 

人の不完全さは人生の彩となる可能性があり、魅力を構成するためになくてはならない要素ではないでしょうか。

コロナウイルスへの対応と可能性

経済大国の日本がなぜコロナウイルスに対してしっかりした対策をとれないのか? 

 

GDPトップクラスと整った環境。

かなりの資金力と豊かさのある国と言えます。

 

いくつかの発展途上国は国の機能を何とか活用し、予算・資源・人材・技術の不足にも関わらず、何とか協力してこの状況を乗り越えようと努力しています。

 

例えば、あるストリートチルドレンやホームレスが多く貧困層が多く存在する国では、総感染者が100人以下の時点から都市の封鎖・自宅待機・門限などを行なっています。

 

多くの人が収入がなくなるので、行政から大家に対して家賃の免除を求めています。そして、快く受け入れる大家もいると伺っています。

まだ少ないですが、食べ物の配給も行なっています。

お金がない人は友達や近所の方にお金を借りて食料を買っていると聞きました。

国のリーダーも積極的に対策を打ち、もちろん批判はあるものの、その姿勢を理解し協力して乗り越えたいという市民の声を多く聞きます。

 

一方、日本では責任ばかりを気にして恐ろしく後手に回っています。 リーダーの存在意義自体が疑問になる状態です。 

 

経済を第一に大切に育ててきた日本だからこそ、今こそ世界に誇るその資本を生かし、まずは国内の感染を速やかに抑える事に全力を尽くすべきではないでしょうか。 

 

最低限の予算で乗り切ろうと蔓延を遅延させる事を中心に考えるのではなくて、

本気で国家予算を調整して国民の家計を助けてから、一時的に経済活動を止める必要があります。

 

経済を守る為の命ではなく、命を守る為の経済であると思います。

 

ましてや、多くの国々は純粋に資源が不足してコロナウイルスに対応出来ていません。

 

さらには、現状の自国の経済を守る事だけを考えるのではなく、一度立ち止まり、資金を投入して速やかに自国の感染を最小化し、経済活動を再開させて他国支援を積極的に行う事が、経済大国としての社会的責任を果たすと言う事ではないでしょうか。

 

既に、経済力1・2位の米国と中国は被害が大きいです。

 

今こそ、世界を通して本当の意味での助け合いの姿勢が必要であり、手本となれるのは日本ではないでしようか。

 

このような機会に、積極的に提案出来る人や国がこれからの世の中を先導出来るのではないのでしょうか。

 

広い視野と良きモラルの下、速やかに決断される事を願っています。

 

コロナウイルス、蔓延の実態

コロナウイルスが世界中で猛威を奮っています。

 

簡潔に個人的な意見を言いますと、

 

1.各都市の封鎖

2.自宅待機

3.国際線制限

4.帰国対応

5.国内蔓延施設の隔離

 

これらの5項目の強化を早急に最低でも2-3週間行わなければ、終わりは見えてこないでしょう。

 

現時点でまだ、政府機関の発表ではギリギリ持ちこたえているとの判断ですが、残念ながら判断ミスと言えるでしょう。

 

経済界への影響回避と責任回避を優先し過ぎて、対策が後手に回っているのは明らかです。

 

人の命より経済を優先している証拠と言えるでしょう。

 

 

予算を組み、まずは1ヶ月程の金銭的サポートを行い、自宅待機をし易くするべきです。

 

これは地方と会社などの判断に任せないで、国で判断し実行するべきでしょう。

 

学習支援、医療支援ももっと国が中心になってするべきでしょう、現状では民間の判断に任せ過ぎです。

 

帰国、入国者への対応もしっかり施設を準備して行うべきです。

 

また、日本に滞在中の外国人への支援も日本人同様に行うできです。国籍関係なく協力することで感染拡大を抑える事が出来ます。

 

海外にいる日本人には現地で対応出来るように、大使館などを通じて生活費やビザなどのサポートなど積極的に行うべきでしょう。 

 

他にも多くの事がありますが、

 

お金や力は後で何とかする事ができますが、命は戻ってきません。

 

リーダーの資質として1番大切な事はモラルの質ではないでしょうか。

 

残念ながら国の今までの対応と発言は心に響くものがありません。 国民にモラルを求める前に、リーダー達が背中で示す必要があります。

 

コロナウイルスへの対策としても、学びへの柔軟性とモラルの向上が最優先課題と言えるのではないでしょうか。

新時代のモデルA

新時代のモデルA

 

ここでは、現代、世界中で必要とされている社会システムの抜本的改革について一つ案を考えてみたいと思います。

注:あまりにも複雑なため、とても大雑把に書いています。

 

一つの考えとして、何かの糸口になればと思います。

 

1. 現代社会の問題点

2. 資本主義と共産主義の共存と進化

 

1. 現代社会の問題点

 

現代社会の問題については多くの人々がすでに日々実感していることなので、あえて書く必要はないのかもしれませんが、一つの例えとして記します。

 

 資本主義の限界

 

資本主義はお金を通して多くの人に様々な可能性を与えると同時に、過激な競争を生み出し、貧富の差・犯罪・モラルの低下を招いている。

 

現代の経済発展はその場しのぎの策であり持続可能ではない。

なぜなら生産性・人口・資源の増加を前提としており、地球には限界がある。

 

①不安を与える。

②希望を与える。

③投資させる。

④そして経済を回す。

⑤快楽を与える。

  ↓

①不安を与える。

②希望を与える。

③投資させる。

④そして経済を回す。

⑤快楽を与える。

 

 *繰り返し。

 

ほどんどの人々はこのサイクルの歯車になり。

一方、一部の人々とコントロールしている人々はこのサイクルを更に利用し利益を生み出し、持続可能な安心できる生活を生み出している。

 

要は、資本主義は実質、極一部の人々への持続可能な安定した生活を生み出してきている。

 

また、生産性の追求により、モラルの低下を起こしている。

なぜなら、ほとんどの人々はお金を物差しに物事を見ることに適応している。

 

これは資本主義の副作用である。

 

 

2. 資本主義と共産主義の共存と進化

 

問題を解決する為にはどうすれば良いのか?

 

一つの案を考えてみます。

 

モデルA 資本主義と共産主義の共存

 

まずは、今の資本主義に新たな選択肢を加えます。

 

[ここでは基本的にお金は発生しません]

奉仕作業(コミュニティーサービス)を行うことにより、生活の保証をします。

コミュニティーサービスの内容は基本的に生活に必要な仕事です。

 

例えば、

公務員の仕事

現在国が民間に委託している様な仕事

衣・食・住に関わる基本的な仕事

医療・教育・福祉など。

 

ライセンスを作り、トレーニングを提供し、職種・労働時間など選択可能にし

お金ではなくポイントを発行します。

このポイントはコミュニティーサービスを受ける時に利用でき生活を保証するものとなります。

 

一定のコミュニティーサービスを行うことにより、お金を使わなくても生きる事ができます。

 

もちろん、ビジネスをしたい人は出来ます。

両方を行うことも可能です。

 

*モラル教育を行い、もし一定の基準でコミュニティーサービスを行わない場合はライセンスの停止やコミュニティーサービスへの参加権の停止あり。

 

 

今回かなり簡潔に書きましたが、

これは大きな社会システムの変化になるので、数え切れないほどの課題が出てくると思います。

ただ、現代の根本的な問題を解決するための第一歩としては有効な手段であり、

全てが後手に回っている現代の状況を打開するための努力としては価値のあることだと思います。

 

 

ソクラテス

Thou shouldst to eat live; not live to eat.

 

生きるために食べよ、食べるために生きるな

 

- Socrates  -

 

約2500年前の哲学者、ソクラテスの言葉です。

 

 

今ではこの「食べる」の部分が「働く」に置き換わって使われている事が多いと思います。

 

賢人のシンプルな言葉は一見いろんな捉え方が出来ます。

 

重要なのは彼らがどのような意味を込めたのかという事です。

 

当たり前のようなシンプルな言葉が名言になるのはそこには深き背景が隠れているからです。

 

 

例えば、18歳の時に「愛」という言葉を聞いて何を感じたでしょうか。

 

そして今はどう捉えるでしょうか。

 

 

「経験」は個人の世界観を変えます。

 

例え同じものを眺めてもそこには違う感覚が存在します。

 

それが「経験」の最大の価値ではないでしょうか。

 

「知識」と「経験」そこには相乗効果がありとても密接した関係です。

 

「知識」は広さを、「経験」は深さをもたらしているのかもしれません。

 

 

脱線しましたが、

 

約2500年前にソクラテスは何を感じたのでしょうか。

今となってはわかりません。

 

私の現代の解釈では、

 

「生きるために食べよ」とは、人としての理性を持って生きよ。

              希望を持って生きよ。

              want to

 

「食べるために生きるな」とは、物的本能の言い成りになるな。

               失望し生かされるな。

                                                  have to

 

 

となっています。

もちろん他にもいろんな表現が出来るでしょう。

 

現代では

「生きるために働こう、働くために生きるな」

 

が近い言葉だと思います。

 

そこに何を感じどのような哲学を自分の中に持つのか。

 

 

社会的背景は私たちの理想を押し潰そうとするかもしれませんが、

 

「理想」を持つこと。

「現実」を受け入れること。

 

そして、本当の意味での「希望」を持つこと。

 

 

これは動物とヒトとの一番の差ではないでしょうか。

 

 

私はソクラテスの言葉にそのような事を感じます。

時代は違えどヒトとしての根底は同じであると。

 

そして、約2500年の月日は社会的背景を除く事を可能にし確固たる真理の一つに近づく十分な要素であると。

 

 

シンプルで本質を突いた言葉には時代と共に生きる力があると思いました。

未然に防ぐ

Intellectuals solve problems, geniuses prevent them.

 

知識人は問題を解決し、天才は問題を未然に防ぐ。

 

- Albert Einstein (アインシュタイン) -

 

 

アインシュタインは天才と定義していますが、今の時代においては過半数の人々がここで言われている天才になる事が可能だと思います。

近年の科学技術の発展は各個人に対してとてつもなく大きな可能性を与えています。

 

しかし、どれほどの問題が未然に防がれているのでしょうか?

未然に防がれた問題について気づくことは難しいかもしれません。

何故ならそこには何も起きていないように見えるからです。

 

只、明らかに想定可能であった事が現実になっているのも事実です。

それは、家庭、職場、学校、政治などあらゆるところで起きています。そのうちのほとんどは問題となってもすぐに解決できることでしょう。

一方、いくつかの問題は起きてしまっては解決が困難です。

 

未然に防ぐ必要があるのです。

 

例えば、人が病気になる事、死ぬ事、大切なものを失う事。大きな傷を伴う事。

 

健康管理を怠れば病気になります。

戦争、テロが起きれば人が死にます。

社会がストレスに満ちれば人が病気になり死にます。

環境破壊が続けば美しい緑は失われ、水や空気は汚れ、種は絶滅します。

 

アメリカでも日本でも年金システムは崩壊しています。

核所有についての争いがあります。

戦争が続いています。

テロが起きます。

 

 

何故、これだけの情報と技術があるにも関わらず未然に防ぐ事が出来なかったのか?

 

そこには多くの原因があるにせよ、

根底にあるのは人間の愚かさだと思います。

 

愚かさとは私欲と恐れです。

 

過剰な私欲と恐れが原因です。

 

これは動物としての生き抜く為の本能の一部なのかもしれません。

 

しかし、理性が備わった人類にとって本能を正当化し続ける事は退化と言えるのかもしれません。

 

もし法律に違反しなければ、裁判で負けなければ、自分が生きている間だけ問題なければ何をしても良いと思い生活や仕事をしてるのであれば、

 

それは精神的な退化であると定義できるのではないでしょうか。

 

 

何故、多くの予想可能であった問題が未然に防ぐ事が出来ていないのか。

 

それは情報、技術、資金が不足しているのではなくて、

人間の愚かさにあるからです。

 

現状の社会のまま放置していては、いくつかの予想可能は問題として 

 

素晴らしい自然は失われます。

空気はもっと汚れます。

飲める自然の水がなくなります。

ストレスがもっと増えます。

テロや戦争が更に起きます。

貧困者は増えます。

自殺者が増えます。

いくつかの国は破綻します。

国同士の争いが加速します。

希望を失い、不安が世の中を包み込みます。

より人間は愚かになり退化します。

希望を抱けないで、不平不満と共に生き、無力感と共に死に行く人が増えます。

 

上記の問題はほどんどが未然に防ぐ事が可能です。

只、多大な努力と時間は必要であり動きを加速させなければ解決できない問題へと発展してしまうでしょう。

そしてなりより、世界の過半数の人々が内なる私欲と恐れと戦う覚悟が不可欠な要素となるでしょう。

 

少なくともこれからの50から100年は人類の歴史から見ても大きな精神的な進化の節目になると思っています。

 

今世界中でこれらの問題と戦っている方々がいます。

団体、個人、また日々の生活の中で大きな事から些細な事まで。

私もその一人です。

 

日々の生活から幸せを感じ、未来に希望を持ち、少しの思いやりがあればそのエネルギーは世界を回り私たちの過剰な私欲や恐れを和らげると信じています。

 

悪循環とは逆のサイクルを作り、そこにバタフライ効果が加わることで想像を超える結果が生まれるでしょう。

 

ここで重要なことははじめの一歩を踏む勇気を持つ事。なぜなら現代社会では明らかに少数派であり理解される事はほぼないからです。もし理屈が分かったとしても感覚的な理解にはいたる事は少ないでしょう。

そして諦めない事。例え始めは100人に1人っだったとしても、1万人に100人、10億人に1000万人いるかもしれません。

そして、1年後に100人に2人になれたとしたらそれはとても大きな変化と言えるでしょう。

 

先ずは近くの人を思いやることが大きな一歩ではないでしょうか。

 

 

抽象的な表現が多くまとまりのない記事を最期まで読んでくださった方に御礼申し上げます。言葉足らずではありますが上手く読み取っていただければ光栄です。

 

同じ時代を生きられている奇跡に感謝を込めて