ソクラテス
Thou shouldst to eat live; not live to eat.
生きるために食べよ、食べるために生きるな
- Socrates -
約2500年前の哲学者、ソクラテスの言葉です。
今ではこの「食べる」の部分が「働く」に置き換わって使われている事が多いと思います。
賢人のシンプルな言葉は一見いろんな捉え方が出来ます。
重要なのは彼らがどのような意味を込めたのかという事です。
当たり前のようなシンプルな言葉が名言になるのはそこには深き背景が隠れているからです。
例えば、18歳の時に「愛」という言葉を聞いて何を感じたでしょうか。
そして今はどう捉えるでしょうか。
「経験」は個人の世界観を変えます。
例え同じものを眺めてもそこには違う感覚が存在します。
それが「経験」の最大の価値ではないでしょうか。
「知識」と「経験」そこには相乗効果がありとても密接した関係です。
「知識」は広さを、「経験」は深さをもたらしているのかもしれません。
脱線しましたが、
約2500年前にソクラテスは何を感じたのでしょうか。
今となってはわかりません。
私の現代の解釈では、
「生きるために食べよ」とは、人としての理性を持って生きよ。
希望を持って生きよ。
want to
「食べるために生きるな」とは、物的本能の言い成りになるな。
失望し生かされるな。
have to
となっています。
もちろん他にもいろんな表現が出来るでしょう。
現代では
「生きるために働こう、働くために生きるな」
が近い言葉だと思います。
そこに何を感じどのような哲学を自分の中に持つのか。
社会的背景は私たちの理想を押し潰そうとするかもしれませんが、
「理想」を持つこと。
「現実」を受け入れること。
そして、本当の意味での「希望」を持つこと。
これは動物とヒトとの一番の差ではないでしょうか。
私はソクラテスの言葉にそのような事を感じます。
時代は違えどヒトとしての根底は同じであると。
そして、約2500年の月日は社会的背景を除く事を可能にし確固たる真理の一つに近づく十分な要素であると。
シンプルで本質を突いた言葉には時代と共に生きる力があると思いました。